日本軍によるダーウィン空襲65周年(2007年02月20日)

昨日近くの戦争慰霊館を散歩していたとき、退役軍人とおぼしき数十人が中心に慰霊の儀式をしていた。近づいて見るとDarwin Defender 1943-45 という旗があったり、スピーチの内容などから1942年に日本がダーウィンに対して行った空爆の65周年記念の式典ということが判明した。 このページの下に動画を挿入しているがその時の式典の様子である。

ダーウィンでも記念式典は行われその様子はテレビでも報道されていた。
ダーウィンはノーザンテリトリー準州の州都で人口は11万人強。

ウィキペディアによるとこの65年前の空爆について下記のような記載がある。
<太平洋戦争中の1942年2月19日に、ダーウィンは二度にわたって、242機の日本軍機による空襲を受けた。日本は、真珠湾を攻撃した時と同じ戦法でダーウィンを攻撃したが、おそらく、真珠湾の時よりも爆弾の数は多かったと考えられ、ダー
ウィンでの第二次世界大戦の歴史を考える上では、これは欠かせない事件である(日本のオーストラリア空襲)。この攻撃によって、少なくとも243人が死亡し、街は大きな損害を被り、これは当時のオーストラリアにとって、最も深刻な事件であった。又、これがダーウィンでの、初めての奇襲となった。

 

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